「文学界」2003年4月号所載の、「村上春樹ロングインタビュー〜『海辺のカフカ』を語る」を読んだ。
 『雨月物語』の物語性だとか、人間存在を二階建て(地下室有り)の家になぞらえる話だとか、『坑夫』の「責任感の無さ」についてだとか、いろいろ。読み応え十分だった。
 
 この中で紹介されている、フランツ・カフカの逸話がよかった。人形を失くして泣いていた女の子のために、カフカが毎日、「人形からの手紙」を書いてあげたという話。
 「私はいつも同じ家族の中で暮らしていると退屈なので、旅行に出ました。でもあなたのことは好きだから、手紙は毎日書きます」
 から始まって、三週間くらいずっと書きついで、とある青年と出会って結婚した人形の、
 「だからもうあなたにお会いすることはできませんが、あなたのことは一生忘れません」
 という手紙で終わる。こういうことやってみたい。

 正月に読んだ古井由吉×蓮實重彦特別対談「終わらない世界へ」(「新潮」2006年3月号)(この対談もとってもよかった)の中で、

 蓮實 よく古井さんの作品は「衰退の文学」だといわれるんですけれども、衰退が書けるのは健康だからでしょう。
 古井 衰退して歌うことは出来るかもしれないけど、書くのは難しいと思います。

 というのがあって、ここにちょっとひっかかってた。だから、今回の村上春樹のインタビューの中で、

 僕は専業の小説家になってから二十年くらいになりますが、ずっと一貫して、早寝早起きして、身体を鍛えて、節制して、ということを意識してやってきました。(中略)あくまで僕自身の小説の世界のことを考えれば、ということだけど、不健康であるためには健康でなくてはならないという、逆説的なテーゼに行き着くわけです。

 という件りを読んで「おっ」と思った。両者の言うところの「健康」は意味合いが少し異なるんだけれど、とりあえず小説を書き続ける条件として二人が同じ言葉を挙げているところに興味を持った。