2006-04-01から1ヶ月間の記事一覧

123冊本その14:「牡丹燈籠」

講談調なのでめちゃめちゃ読みやすい。幾組もの男女が入れ替わり立ち替わり現れ、ホレたりハレたり化けて出たり。 実は一箇所、どうしても腑に落ちないところがあって、「ええーっ真相ってそれ?じゃあさっきの描写は?」と叫んだ。読まれた方はご面倒でも、…

123冊本その13:「女の一生」

高校の時先生に文庫本をいただいたものの、その内容のどぎつさに赤面し、涙を浮かべ、先生の真意が奈辺にあるかを訝り、母に見つからないよう読後捨ててしまった思い出の本。 いま読み返して、どこでそんなに動揺したのかサッパリわからなかった。 あの頃に…

「1973年のピンボール」

一作目よりも抵抗なく楽しく読めた。文体への慣れもあるかもしれない。主人公がカントの『純粋理性批判』を読んでるのにときめいたせいかもしれない。この理由、我ながらミーハーでやな感じ。 本作品では「一対のもの」を意識して多く描こうとしている気がし…

123冊本その12:竹取物語

確か古典の学び初めがこれだったような。文法教科書の例文にもたくさん引用されてたから、久しぶりに読んで懐かしかった。「長き爪して眼を掴みつぶさむ」って、覚えてる人いないかしら。 「物語の出で来はじめの祖」なんだけど、筋立てしっかりしてるし、伏…

123冊本その11:「雁」

語り手は「僕」であると最初に示されるものの、話のほとんどが超越的(?)な視点から語られていて(「僕」の知り得るはずのない事柄が縷々語られていて)、読み手に不思議な感じを起させる。解説(新潮文庫)で「視点の混乱」と称されているこの書きぶりが…

村上春樹「風の歌を聴け」

やっと、やっと村上春樹を読んだ。なんといったらよいかわからない。自分がいま感じている違和感が、ほぼ予想どおりだった一種の「バタ臭さ」によるものなのか、売れっ子に対する嫉妬心、「現代の作家なんて」という偏見によるものなのかがまだつかめない。…

123冊本その10:「ファウスト」

どの翻訳で読もうか散々迷った挙句、新潮の高橋訳を選んだ。良かった。 が、主題がわからなかった……。結末が帳尻合せのように思えてしまう。いいの?それでいいの?とゲーテの襟首を掴んで揺さぶりたい感じ。 作品を読んでる間中、頭の中でファンファーレが…

その9:「リルケ詩集」

たけくらべの興奮さめやらぬ中、ささーっと読み飛ばしてしまった。詩集を1時間で読むなんて美術館を小走りで駆け抜けるようなものだ。反省。 しかし訳の文体が自分には合わなかった。訳者はリルケ全集を監修したような有名な方でサイト上の評判もなかなかの…

123冊本その8:「たけくらべ」

素晴らしい。最高。文章も構成も人物造型も、何もかも。二作品合わせて百頁という短さもよい。まだ8冊目だけど、多分123冊本のナンバーワン。こんな文章が書けたらなあ。八章の締めの文なんて、お洒落で痺れる。 「唐桟ぞろひに紺足袋はきて」といった描…

123冊本その7:「アッシャア家の崩壊」

古本屋で購入したら、中の数頁が切り取られていた。どうしたものか。 推理小説だと思い込んでいたがそうではなかった。しかも短編小説集だったためアッシャア家は三十頁足らずで崩壊してしまった。しかし最後の崩壊の仕方は見事。絵になる。

123冊本その6:「古事記」

岩波文庫の校注をしている先生が、友人の恩師だった。なんともはや。 エネルギッシュ。屎がやたら出てくる。「その容姿(かたち)麗美(うるは)しく」と姫を紹介した直後に、「その美人の大便(くそ)まれる時」とか言うんだもの。愉快愉快。 イザナギが黄…

123冊本その5:「変身」

こんなにユーモア溢れる作品だったっけ。背中の林檎は何の暗示かしら。

123冊本その4:「人形の家」

どっちもどっち。無邪気さを装うことの破綻について。

123冊本その3:「教祖様」 

『教祖様』は天理教の教祖・中山みきの一生を描いた作品。そんな話だとは知らなかったのでびっくりした。 すごい女性がいたものだ。何がすごいといって、「貧に落ちきり」、人々に自分のものを与えつくすところ。真の奇跡とは病気を一瞬にして治癒することで…

123冊本その2:「告白」

『告白』は既読だったので、時間論のある第11巻だけ読んだ。時間とは精神の延長・分散であるということについて、くり返し考えねばならないと思った。

123冊本その1:「ハムレット」

諧謔に満ちた表現の洪水にただただ圧倒されてしまった。福田恆存の訳が好きだ。しかしいまでは古臭いということになっているのかなあ。こんなに地口があったら訳すのは大変だろうなと思った。 人間の情というものが、微に入り細を穿ってこれでもかと書き連ね…