123冊本その33:「方法序説」(岩波文庫)

 「方法序説」は「省察」のイントロダクションみたいなものだと聞いたので、ちくま学芸文庫の「省察」と一緒に。
 神不在の現代哲学の端緒だと思い込んでたら、神の存在論証にかなりの紙数を割いていてびっくり。「われ思う、ゆえにわれあり」のインパクトが強すぎたのは、この書にとっての不幸なのではとすら思った。それともこれも計算のうち?
 
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 「私は考えている、だから私は有る」とこの本では訳されていたのだが、「在る」ではなく「有る」だったのが意外だった。

 とあったのに大いに共鳴したので、白水Uブックスの方の訳者について色々検索してみた。
 西田幾多郎門下の京都学派に「有る」を使用する人が多いというのを聞いたことがあったのでその辺が理由だろうと思ってたら、東大出身であることが判明し撃沈。
 めげずに検索を続けたら、訳者が「ある」と「もつ」についての論文を著していることがわかった。多分、所有の意味の「ある」(「僕はお金あるよ」「私には子がある」等haveの意の「ある」)に注目して、所有すなわち把握、認識という点から存在を捉えようとする立場なのでは。と論文読んでもないのに妄想を膨らませた。それがデカルトの言説とどう関係するのかはわからないけど。結局わかりませんでしたという話ですみません。