123冊本その39:「北原白秋歌集」(岩波文庫)
「全歌集12冊から精選」と表紙にある。はじめの『桐の花』がよかった。巻頭の「桐の花とカステラ」というエッセイもよい。以下引用。
「思ふままのこころを挙げてうちつけに掻き口説くよりも、私はじつと握りしめた指さきの繊細な触感にやるせない片恋の思をしみじみと通はせたいのである」
うちつけ掻き口説き型としては耳が痛い。肝に銘じたい。
先日思い出せないと言ってた歌が見つかった。草はらで赤鉛筆削るの。
草わかば色鉛筆の赤き粉のちるがいとしく寝て削るなり(『桐の花』)
今回自分が叙景歌にほとんど興味がないことがわかりショックを受けた。人か動物が出てないとどうにも感興がわかない。
かき抱けば本望安堵の笑ひごゑ立てて目つぶるわが妻なれば(『雲母集』)
本望安堵の笑い声というのがいい。ほんわかしてたら、
この憎き男たらしがつつじの花ゆすり動かしていつまで泣くぞ(同)
な、なにがあったんだー。
と思ったら『雀の卵』に「妻は未だ痴情の恋に狂ふ」とあって、ああそうだ奥さんと離縁したんだったと『文人悪食』中の伝記を思い出し切なくなった。同歌集には「妻に」と題した歌七首もあり寂しさはいや増す。しかし悲しみをことばにして形づくれる人は幸せだ。いや不幸せか?
春くれば白く小さき足の指かはゆしと君を抱きけるかな(『桐の花』)
体のどこか一部分を愛でるというのは、かなり高度なエロスだと思うんだけど。羨ましい。私も足小さくなりたい!いやむしろ殿方の方で小さいねと言い張って欲しい!喜んで騙されます。